チームPLUS 1

店主敬白

2.街の自動車屋さんへ就職

70年・秋。「内田、ここ受けてごらん」と、先生に言われた会社を受験した。大阪の某駅を出たとたんに、その会社の「色」を感じる街だった。会社までの道にはカンバンやら社名の入った街灯もずぅっと続いていた。

 合格した。「大企業でよかったなぁ」とか周囲の人は言ってくれた。しかし、「仕事=会社勤め」の構図は頭の中では理解するものの、気持ちの上でどうもしっくりこない18歳の私。あの大阪で、あの大きな会社で、自分はいったい何をするのか。何が出来るのか。何も根拠が無いのは承知の上で、何でも出来そうな気もする。でもあんな大きな組織に入るとなるとじっと定時を待つだけの生活かなぁ。そうなりゃ学校と同じじゃないか。

でも、大阪かぁ。都会で送る青春も何か惹かれるモノが有るなぁ。給料もイイとか言われてたなぁ。安定とか、一生の問題とか大人達は言っているし・・・と就職が決まったとたんに悩み始めた私です。
 「何か違うぞ。このままあの会社に就職してほんとにお前ええんか?」

と自問を繰り返す毎日を過ごしたある日。

「やめた。どうもシックリこんわ、勤め人になるのは」

と結論を出しました。理由は「シックリこない」です。

 人生最初に社会のドアを開ける時の決断としては誠に安易です。理由が説得力を持たない事は当時でも気付いていました。中2の時オヤジを亡くし、おふくろ1人に大きくしてもらった私の最初の大きな親不孝です。

 高校卒業と同時におふくろに一応ことわって家を出ました。大都会?岡山市に住む元同級生の部屋に先ず転がり込んだ。昼間パチンコ、夜は当時流行りのダンスホールでギターを弾いて結構な収入になっていた。食うには困らない。毎日が刺激的でもありました。

 こんな生活を2ヶ月ほど過ごしたある日、何の用事だったか忘れたが電車に乗った。朝の通勤時間帯だった。まわりの人みんなが輝いて見えた。違う世界の人達でいっぱいの電車の中。「みんなちゃんと仕事しとる。くらべて俺は・・・何してるんだろう」この時、ちゃんと働きたいと思ったのでした。急に。生まれて初めて。

 初めて職案へ行った。高度成長期のまっただ中、いくらでも求人は有った。相談係のおじさんに「車とバイクが直せる会社無いですか?」一度に数件の案内書をもらい、その中で職安から一番近い会社に向かって歩いた。ホンダのお店だった。前を行ったり来たりして観察。正面のショールームには当時ベストヒットのホンダN360が数台。CB系のバイクが数台展示されていて、その奥が工場のようです。

 開け放した入り口を思いきって一歩踏み込むと、あの匂いがした。大好きな匂い。我がオヤジのバイクの匂い、あのバイク屋のオヤジの匂い。「決めた。ここにしよう」相手にも「来てくれ」と言ってもらいました。

 今度はそんなには安易じゃない。「匂い」という五感、それと職安に一番近いといった物理的要素も加味して自分の社会人の入り口を決めたわけです。私はこの頃から既に、意思決定にあたってそんなに多くの要素を必要としないタイプだったようです。