チームPLUS 1

店主敬白

4.連夜満員御礼

さてさて、何年振りかのこのコーナーの更新です。開店して 22 年経って、創業の地・十日市のお店時代前期のことをまだ書いております。今の藤田のお店に移るまでのことをご案内して、 PLUS1 ってどんなものなんだかを皆さんにご理解いただくつもりでいましたが・・・ライフワークになりそうです。

HP アップのほんの 2 、 3 ヶ月後には全部埋めるつもりでいたのですが、この有様。そのつもりでいたものだから、前の方の項では書いた年から「何年前」とか、今となっては歴史的時事ネタを現在の表現で書いていたりもします。ここで、大きく反省して、一気に書き上げ!ではなくて、前の方の項を修正したりもせず、今回から書いた年月を入れます。


【連夜満員御礼-1 不良オジさんの同窓会】

店の軒下から歩道に色とりどりのスクーターがバシッと並ぶのは 10:00 。そんなに仕事無いし、コーヒーなんかをゆっくり淹れて、ゆっくりいただく。と、静かな午前中。

ところがところが、カーちゃんと弁当食べ始める頃からがイケない。午後からは次から次へと「通ったから」とか「近くに来たから」「ここ 2 日程来てないから」更には「誰々は最近来たかな?」とか、各種二輪等販売修理業には全く関係ない口上で人がやって来る。外勤オジさんさちが来ること来ること。本業で訪ねて来る関連業界の人間も、何故か長居をしてくれる。オジさんって言っても、今の店の過半数を占める後期中年期のオジさんではなくて 30 才を中心値に置いた前期オジさん期の面々。 22 年前だから。

夕方以降、更にイケない。安定的定時終業組と数は少なかったけど学生達が第 1 弾。それで狭い店舗は直ぐに満員。その後は自営業系、遅番は昼間プラプラしていて店覗いたのに、その日 2 度目のご来店の営業職系。狭い駐車場にも溢れて、ニセアカシヤの大木の下、歩道を横切る用水路の橋の上と、店の周りは人で溢れていたのでした。

「客じゃない」との自覚というか、確信犯的来訪者たちは店内のメインテーブル(現在、工場長がインディアンの部屋で自分の PC を置いて使っているテーブル)の接客スペースは空けて、もしくは使っていてもたまぁ~にある「普通のお客さん」の姿を見かけると、すっとコーバに抜けるか、歩道に出ていくつかのグループに別れて談笑をなさる。

自然と世代グループに分かれ、橋のガードレールに腰掛たり、駐車場の隅にしゃがみ込んだり、歩行者の邪魔にならないように歩道の縁石にヨコ一列に腰掛けたり。異様な人だかり。各種二輪等販売修理業の分野では売り上げは全くゼロだけど、はす向かいの「タバコ有ります」の萬屋のおばちゃんは、

「お向かいのお客さんが毎日ようけータバコやらジュース買ってくださる。あそこは何屋さん?」

歩道を通り掛かってこの異様な人だかりを見たヤクルトおばさんは、

「ビフィズス菌、乳酸菌毎日採らにゃいけんよ」

と、余ったのではなく、「余らして持って来た」と言って毎日残業販売に勤しむ始末。

 家に帰ってもそのまんま独りの微妙な年頃の独身オジさん。とか、「家に帰りたくない病」に罹った難しい年頃の前期オジさん期の面々がどんどん集積し、増殖していったのでした。ナンデだろ。

自慢じゃ無いけど、まぁ・・・そんなに仕事は無かった。

一緒にワイワイ言っている間に、気が付けば日付が替わっていることが続く。始業は 10:00 頃と決めたけど、終業時間は決めずに始めた店だった。

これじゃかなわん。どうしたものか。

「日頃ご愛顧、モトイ。日頃何故だかお集まりの皆様にご案内」

として、

「冬の 8 耐朝まで飲み倒し」

を企画した。ここで燃焼させれば、 1 週間くらいは静かな普通の各種二輪等販売修理業でいられるものとの目論み。当然、皆を招待出来る余力などある訳ないので「食材とお酒は各自用意ください」とも大きく書いた。

暮れも押し迫った土曜日、まー来るわ、来るわ、最近オヤジになったばかりの仲間達が多くを占めた。

「家に帰ったら子守りせんといけん。朝までおろう」

「普段、たむろしとるけど、こうして皆で飲んだらもっと楽しいなぁ。毎日やろうやぁ」

「えっ!そんな巨体で、 Vmax なんか転がしといて、コーラしか飲めんのかなぁ」

「おとーさんとナガタニさんはどうも関係が怪しい。おかーさんの話じゃ B までいっとるらしいで」

「焼酎一合一息飲み、いきます!」

「あんたダレだっけ?友達の友達はみんな友達!」

「どうやったら女房に内緒でバイクもう一度乗れるモンじゃろか」

「犬と女房は叩かんと、エエものにゃならんで。ひぃっ~くぅ」

お蔭さまで大量に集まった食材、各種ハイオクが尽き果てるまで延々と続く同窓会。当時のメンバから考えると、程よい場の荒れ加減で。前後不覚、意識レベル「辛うじて反射以上」が数名出たところで宴も終わり。彼女と間違えてストーブ抱っこしたのは T ちゃんだったような、違うような。酔った身ながらドキッとしたけど誰もヤケドしてなかった。ハイオクより随分と先に灯油が切れていたのね。よかった、よかった。

そして、静かな一週間はやって来なかった。


【連夜満員御礼-2 儲からないケド・・・】

儲からないけど、あの頃はシアワセだったかも知れない。と、今になってしみじみ考えたりします。

「また空っぽじゃ。まぁ・・・今月もお店続ける事出来たし、来月に突入できるから良しとしヨ」

カーちゃんが残高 4 ケタの貯金通帳を開いて見せる。

月度支払日の最後に家賃払ったら、キレイに空っぽ。でも、シアワセにはほんの少し遠いものの、支払日が近づくまでは安気で平和に暮らしてした。今考えるに、あの頃が一番ココロ静かに平和に過ごしていた。スクーター売り損ねて一憂。斜向かいのパチンコ屋で 3,900 円勝って一喜。ご幼少の工場長とその妹には「うまいぼう」か「ガリガリくん」を日に一本献上すればご機嫌でいてくれる時期でもあった。

そしてそして、何よりの安心要因は、

「各種パンク修理致します」

の看板。サブちゃんが作ってくれた看板の威力は絶大!なんたって幹線道路沿いの(不法)歩道商売。ホント、この場所選んで良かった。当初の予定通り「沿道サービス」で日銭が入ってきた。開店前の目論みどおり事が運んだのはこれだけだけど。

パンク修理が我家の生活を支えた。スクーター、オートバイは当然として自転車も。更にはネコ車も。どんなチューブの穴でも塞ぎました。農用の汎用エンジンがかからない?草刈機のエンジンが吹かない?何でも直します。はい。

パンク一貼りでその日の惣菜を Get 。各種二輪等一台直してビール代確保。の平和な毎日。月々の家賃は仲間が落としてくれる修理、検査売上げで賄う事が出来た幸せな日々。

月間車輌売上、スクーター 2 台で 23 万円。パンク修理以外の簿外!?工場売上(法人化、 PC の入った現在は全てきっちり売上計上。寂し~ぃ。いえいえ、当然の義務デス)が多分 30 万円位。締めて 53 万円+α。

最近ようやく考えるようになった営業利益率は一体どの位だったんだろうか。率で見ると間違い無く今の 3 、 4 倍あったのではと、今思う。家庭でも事業でも、月々の固定費が少なくて済む時期は有り難く、大事なコトなんだと今強く思ったりします。


【連夜満員御礼-3 常連って何だろう】

「以前は十日市で店されてましたよね?何度もお店に入ろうと努力したんですが・・・結局勇気が無くて入れませんでした」

との、先日ご来店頂いただいたお客様の談。

「勇気が無くて入れなかった」?

今のお店、藤田に移って以来、度々聞いたお客様の声。 HP 開設の折りにも「いきなり訪ねて行って平気ですか?」的な投稿もよく貰った。それもあって、私の店をもっと知ってもらわなきゃいけないと書き始めたこの「店主敬白」。なかなか進んでいませんが。

点検整備は言うに及ばず、消耗部品交換、スポットの修理と全てをお任せいただける。これが、世間一般で言う常連さん。幸いなことに、私のお客様は 9 割方が車両のお付き合いから始まり、その後のメンテナンスも永きに亘ってお任せいただいています。これが開店以来。

ところが!開店時の常連さん(以下「第 2 種常連さん」という)。これが・・・前項 1 のとおり。あの怪しい賑わいの中で、

「これはたぶんバイク屋だろう」

と見破ってどんなものか覗いてくださる「一般のお客様」は極めて少なかったはず。と、今更思う私です。意味不明の人だかりだけで無く、こんなことも日常茶飯。

「今の時期コーバは気持のエエ風が入るなぁ。ちょっとこれつこーて休ませてもらわぁー」

な、なんと。コーバにハンモツクが吊られ、髭面のいかついオヤジが昼寝している!

「おっ、日曜日っても開けとるなぁ。仕事もネーのに。今日なんか仕事しとるのは金持ちか貧乏人だけよ。そんなゼニも取れん仕事止めて。さ、さァもう道具置いて手洗われー」

狭い工場の空きスペースに新聞紙敷いて、中央には餃子の王将「お持ち帰りファミリーパック」、ビールは 5 ㍑。当然昼間。「それもそうだ」と、道具置いて手を洗う私。

新しいバイク屋か!と人絹道路から気に掛けて下さっていた方。歩道を通られる近所の方。これじゃお店に入れたもんじゃない。だいたい、誰が店主か店員か分からない。ただ、当時の工場売上の殆どが第 2 種常連さん達から。「居場所代」もしくは「居場所が無くなる危機感」からか、無給の営業マンとして車体販売、各種修理の紹介をしてくれたのもこの第 2 種常連さん達。

「バイクが好き」といったことだけが動機で開店した私でも、第 2 種常連さんが居たからこそバイク屋を続ける事が出来たのは事実。今も昔も常連さん有ってこそ、この業界に身を置く事が出来ている。

一方で、この有り難い第 2 種常連さんが、道行く第 1 種常連予備の人達を遠ざけていたのはまぎれもない事実。お店の狭さ、ロケーションも影響したのもあるけど。それに気づかず過ごした十日市時代・・・はて?今も変わってないって?


【連夜満員御礼-4 こんな人達がやって来た】

「あの・・・ここバイク屋さんですよね?もう営業されてます?」

人絹道路と呼ばれるお店前の道を挟んで、今も営業されている自動車修理工場が有る。そこのサービスマンが仕事を終えて突然訪ねて来た。

「普通だと新規オープン時には花輪ってのが付き物でしょ?花輪が並ぶの待ってたんだけど一向に気配が無いんで・・・お邪魔してみました」

 そう、開店時の内情をヨぉーク知ってる周りの人達は、食えない花輪は止めて、お祝いは全て現金、もしくは現物支給して下さった。だから外に対して「新規開店」のアピール全く無しの開店だった。スタッフ第 1 号 タケちゃんとの最初の出会いは梅雨空の夕暮れ時。

開店当初の第 2 種常連は、先ず私の若い頃からのバイク仲間。イサオちゃん。ナガタニさん。ヤスキくん。そして「ご近所系」のサブちゃん、やっさん。そして、「縁者系」大森(カーちゃんの旧姓) 3 姉妹の縁者。また、私の故郷・津山のご学友系、前職の関係者。まっつぁん。なんかはこのカテゴリー。こうした人達の同僚や知人が集まり、構成されていた。

前章で触れたように、まっつぁん。また、やっさんも今や彼岸に・・・ふたりの笑顔は皆のココロにずっと残っている。合掌。

これで充分「濃い」第 2 種常連の跋扈する中、気にすることも無く?気付かず?今で言う「空気読めず」?ご自身のカラーに合致していたのか?すぅ~と自然に入って来てくれたツワモノ第 1 号がタケちゃん。似たような感性か、通りかがり独立系ですぅ~と溶け込み、第 2 種常連「色」を更に強化せしめたのが、以下の人達。

「こんにちは。やっぱりオートベー屋じゃったんじゃなぁ。ちょっと寄せてもろうてえーじゃろか」

更に

 「昼休みおらしてもろーて、ちょっと弁当食べさせてな!」

と、初日からおでん弁当大盛を脅威のスピードでたいらげたウエちゃん。ここはバイク屋なんだけど・・・更に、

 「昔からの友達でなぁ、オートベー好きなんよ。見掛けは貧相なけど、会社役員で年収一千万ちけーんよ。最近ボート売ったけーオートベー買うで。多分」

とウエちゃんが言って連れて来たのが、あのテツ親爺。テツ親爺は初来店以来、「梶谷のシガーフライ」を片時も手離さず夕方現れるようになる。

昼食時に現れ始めたのがもう一人。用水路を挟んだお隣に老舗・Tマツダ本社があった。当時そこでサービスなりたてのとても親近感を覚える顔面色の年齢不詳の青年がいた。賄いの昼食後に何故かいつも沢庵を齧りながら用水路を渡って来た。夕方は歩道を FZR でやって来た。私の弟とよく間違われた 10 代のクサカ部長です。真冬でも靴下を履いてなかったのが不思議。今でもその謎が解けないんだな。

 「 M さんから車体買ったばっかりなんですけど、足なんかのセッティングとかどおーも今ひとつ。面倒見てもらえますか」

と、なんとバイク屋と決め付けた!言葉で入って来たのはオオタニ青年。乗る時はいつも律儀にオフブーツ履いているものだから、「マイ・スリッパ」を店に置くようになった。その後「マイ・スリッパ」キープはブームとなり、何時の間にか専用スリッパスタンドが店内に在ったよな。

因みに、後に溜まってくれるようになる医系大学生達を除けば、マスターは後にも先にも彼だけ。しかも旧帝大だぁ。

「えーッ!チエちゃんの旦那さんなん?」

ってお店から聞こえるカーちゃんの大きな声。

コーバから中を覗くと面積2㎡はあろうかと思われる背中が見えた。アゴからうなじのラインにまだ少年の面影を残す 20 代のトリちゃんがそこにいた。連れて来たのはアキちゃん。彼は大森 3 女の連れ合い・私の義弟となる。

大森 3 姉妹は戦後日本の第 1 次産業を支えた某鉱山の社宅に育つ。その隣の社宅の長女と大森 3 女が同級生。その隣の家の長女の妹が、カーちゃんが叫んだチエちゃん。カーちゃんからしてみると、自分が社会人とならんとしてた時にほんの幼女だったチエちゃんが結婚し、その旦那が店にやって来ることに何を感じたのか。時間か、縁故フル動員で客寄せに奮闘する妹の健気さか。

アキちゃんは大森 3 女の命を受けトリちゃんを店に案内して来た次第。トリちゃんはバイクを結婚前に手放してしまったクチ。結婚後に復活することの難しさを知り、でもどうにかして復活をと腐心している悩める青年だった。再びバイクを!長期計画「オペレーション・わらしべ長者」を策定。実行した。

開店の年に早速、チエちゃんには XL250 を「内田のオトーさんから貰った」とか言ってバイク乗り復活して以来、何かしらのバイクを乗り継ぎ、今年 999S をお店から浚っていった。前期所帯持ちの悩めるバイク復活願望組がいらっしゃれば、トリちゃんのレクチャーを受けることをお薦めします。

こうして構成された初期第 2 種常連の知り合い、身内、関係先がお客様として来て下さることになる。今もしょっちゅう見る顔としたら、オノちゃん、長井さん、益ブーの各位が直ぐに続く。以来、十日市のお店が立ち退きになるまで、この第 2 種常連色が連綿と連鎖拡大することになり、現在に至る。


【連夜満員御礼-5 今考えると】

開店の年。 HONDA が F1 で総合優勝、関係無いけどシートベルト着用が義務化された。ハーレー彗星が大接近したせい?で当時は弱いのが当たり前だった阪神が優勝したりした。またそのせい?で三原山が噴火したり、チェルノブイリ原発事故があった年でもあった。

今や押しも押されもしない真性中年男のクサカ部長は「新人類」と言われた世代らしく、いずみ町の運動公園で暑いのに皮ジャン着て荻野目洋子!の「ダンシング・ヒーロー」で夜なべして踊っていた。

こうして考えると随分とたくさんの時間が通り過ぎていったものですが、つい最近だったような気がするのはやっぱトシなんでしょかねー。

今考えるに、開店当時は金銭的な余裕は全く無かったけれども、エネルギーに満ちた生活をしていた。お客様も含んで。バブルの訳の分からない好況期にはまだ遠く、円高不況に突入の時代であったのに。マイルドセブンが 240 円。マサトが毎月小学校に持っていく給食費が 312 円と、あまりお金がかからない時代だったせいでもない。

今を、明日をもっと面白く。もっと楽しく。しようとする自分があったと思うし、お客様、仲間達もそうだった。高度成長期じゃないけれど、「今日より明日はもっと面白いに違いない。そうしたい」的なエネルギーが満ちていた。 22 年経って、こうした種類のエネルギーが PLUS1 の DNA になっていてくれているのではないかと考えたりします。

先月我がお店も 22 歳の誕生日を迎える事が出来ました。一重に、「居場所代」「居場所維持のため」と暖かい表現でご支援下さる皆さん仲間達のお陰です。放って置いたらエー事にならんと皆様に御心配頂く状況を繰り返し、開店当時からの仲間達は全員 22 歳歳とって今は立派なオヤジ。藤田からのお客様もどうやら同じカラー?の仲間達に成ってくださった。

まぁ、ここまでご一緒させていただいたわけですから、もっと面白く。一生かかって極めましょ。この楽しいバイク人生。

最近発見した事。カブのタイヤ交換代金、 20 年前と殆ど変わっていないバイク業界でございます。が、またまだ「バイクの楽しさ」をご提供し続ける場の維持に励む所存です。