チームPLUS 1

店主敬白

3.こんな時代だった

就職。会社の独身寮へ引っ越した。当時は大企業から個人事業者に至るまで、社宅とか寮を従業員に用意するのが常識だった。故郷から離れた所に「勤め」に出るのは、たていてい長男以外。こんな少年、少女達が実家を出て、今みたいな小奇麗な単身者向けコーポにいきなり住める時代ではなかった。そんなものも無かった。雇用者側としては、従業員の住まいは当たり前のこととして手当てしていた。日本の第2次、3次産業の拡大期を担ったのは、地方から街へ出て来た私達の世代の次男三男、長女次女だったのです。「工業立県!」とか、お役人が真面目に叫んでいた時代です。

 社屋の二階に独身寮はあった。極めて標準的な寮です。ベッド1つに間仕切りを兼ねた整理タンスが1つ。1人あたり占有面積3畳の4人部屋の住人になった私。工場長にみょうに気に入られ、3日と空けずに夜の街に繰り出した。ちゃんとした正しいキャバレー全盛期です。ダンスホールと定食屋、ホルモン屋しか知らない少年が、初めてグランドキャバレーに踏み込んだ時の驚き。高校の体育館よりもでっかい建物が光り輝いて、フカフカの赤い絨毯。ボーイさんの制服。巨大な化粧の匂いの塊。

 化粧の濃いおネー様方にまとわり付かれ、はるかかなたのステージではフルバンドの演奏。こんなに大勢のお客さん達はいったい何処に住んでいるんだろう。こんなに大勢のおネー様方が岡山の何処に居たんだろう。と考えてしまう夜の街の人口密度の高さだった。

 高度成長期まっただなか。水島にある鉄や石油、自動車といった超大企業が「正社員募集」って新聞折込広告を毎週入れていた時代。ある労働組合が賃上げの要求額を出したら、即日にその倍額の回答を会社が行ったとか、世の中浮かれきっていた。今思えば。

 発展っていうのは大量生産、大量消費のこと。明日は今日よりも必ず豊かになると皆思っていた。貯金という言葉を、(少なくとも私の周りの)何人の人が当時知っていただろう。儲けたお金はその日の内に使う。そんな時代。世の中のお金の回転率は脅威的だったと思う。お金が単純で実態のある動き方をしていた、判り易い時代でもあった。

 社会人になった私の愛車はカワサキメグロのW1に。浮かれた世の中の恩恵を賜り、一気に車格が上がった。3年越しの恋が実った。当時、私の5感を1番刺激するバイクだった。嬉しくて嬉しくて毎日乗り廻し、1週間で右チェンジに慣れた。仕事をしまって大阪まで走る。レッドツェッぺリンのステージを見る。地道をひたすら走って岡山に朝方戻る。そのまま寝ずに仕事に入る。良く遊んだ。ちゃんと仕事も出来た。仕事も楽しく感じた。W1と一緒でシアワセ一杯の19歳の私でした。
 71年。分割払いで車の免許取得。さて、いよいよマイカー(こういう言葉が良く使われ始めた頃。これを書くにあたって某メーカーの水島製作所の生産台数を調べてみた。この前年'70は27万台。これは'60の約10倍の台数にあたる。従業員は6900人とか。普通の家庭にクルマがいきわたり始めた頃です。軽4から)の時代だ。廃車のN360を2台買った。しめて9000円也。

 ニコイチ(2台の車の使えるところを集めて1台に組む事)プロジェクトのスタート。終業後、夢中で触った。毎晩時間の経つのを忘れ、とことこん没頭した。とりあえずエンジンは450ccに。(シリンダーをボーリングすればCB450のピストンを組めた)エンジンを触る楽しさを覚えた最初のエンジンだった。
 ボンさん(一人前に成る前の状態、もしくはその人の事。まぁ、従業員の中で若い衆の総称)である私の仕事は下回りのスチーム洗車、黒(下回り保護用の塗装)の吹き付け、部品の洗浄だけの毎日。見て盗む時代。早くエンジンルームを触りたい、その時のためにしっかり先輩のやる事を見ておく。わざわざ見せてはくれない。自ら積極的に先輩の仕事を見ていないと、ボンさんから脱却出来ない。そんな時代の最後のあたりだったかもしれない。

 触る事が許されるのは自分の車だけ。文字どおり寝食を忘れて連夜触っていた。自分のクルマが出来ていく喜びに加えて、昼間クルマを触る事がかなわない欲求不満の解消にもなった。毎晩毎晩、嬉しくて、楽しくて寝るのが惜しい。

 やった!自分のNチンが出来た。

 住職は超接近の階段1本。工場も使わせてもらえる。何よりの強みはもう1台エンジンが有ると言う事。安心して無茶苦茶出来た。ノーマルカムとSのカムとの違いを体感した。シングルキャブをツインキャブにすると全然走らなくなった。なんで??1週間費やしてキャブレーターのバランス調整。バリバリのスペシャルNチン完成。全開!の長いダラダラ下り道。前方に渋滞の列、アクセルオフ。あれれ・・・?止まった。持って帰って開いてみると、ピストンに穴が空いていた。

 昼間も色々と触らせてもらえるようになってきた。試運転中に突然止まった。エンジンは回っているのに動かない。プライマリーチェーンが切れていた。今なら大騒ぎになるトラブルも当時は日常茶飯事に起きた。研究テーマが毎日ころがり込んできた。クルマの方から、お客様の方から。ホント勉強になった。因みにコケるのはバイクの特権ではありません。当時の車はコーナーでコケる事が出来たりもしていました。

 毎日の牽引引取が、丁寧なアクセルとクラッチワークを教えてくれた。指先がいつのまにか太くなり、手の甲はあかぎれだらけ。爪の間の油汚れにちゃんと風格が出て来た。自分の手を誇らしく思い、この道を選んで良かった。と実感した20歳の私。