チームPLUS 1

店主敬白

5.疲れなかったのは何故だろう

開店初期、ドゥカの販売はおろか修理さえもしていない。モンジュイもまだ手に入れずの頃のことを書いてきました。サラリーマン時代の収入に戻ったのは独立後4年目から。つまり、開店初期は随分と収入減の中で暮らす一家でした。が、幼少期の工場長とその妹、更にその母親の皆に家計縮小均衡からくる翳りや、諍いが増えるようなことは無かった。と・・・私は思う。無かったはず。多分。

 あの頃、20余年前になるので、私の体力的にはまだピーク近辺にあった時代ではある。けれど、とにかく長時間営業。千客(のようなもの)万来で、なお且つ売上げ僅少。

と、疲れの3大要素が充満する小さなお店の起業初期、疲れなかったのは何故だろう。

 故・松っあんがひと足早く独立した時、「えぇなぁ。これからは全部自分の時間じゃな」と私の率直な羨望をそのままお祝いの言葉として出した私。そう、仕事自体が好きなバイクに関わるものだから、15時間勤務であろうが何であろうが、全部自分の時間。分けても、修理は大好き。今になっても実は工場仕事が大好きだったりします。

 修理が終われば、試運転。スクーター外装や自転車のパンクといった軽整備は数あったものの修理伝票を上げるような仕事はそんなに無い。こんな中での修理と試運転はついつい長く、モトイ、念入りになる。つり銭だけ用意して独立した身には決して手が届かないバイクには特に入念に試乗チエック。たっぷり、納得が行くまで自分の裁量で時間を投入する。乗るシアワセと、自分で好きなだけ納得いくまで手を入れることが出来るシアワセ。

 納得出来る結果への充実感と、「次はどんな仕事が来るだろうか。次はこんなバイクのこんな仕事!こんな仕事が来るに違いない」とか、明日は今日より明るい拡がりがあるかも。あるに違い無い。と、商売上の当て込みではなくて楽しい仕事が来る当て込み。一念通じたか、翌日に望んでいたような仕事が来たりもする。「明日」をココロ待ちにする仕事だと、疲れようが無い。

 沿道サービス仕事さえ無いことは良くある。こんな時は大手をふって、斜向かいのパチンコ屋さんへ。私が店主、誰憚ること無くパチンコに行くシアワセ。「全ぇ~部自分の時間」の実感。
携帯電話は存在してたけど、そんなものは庶民が持つモノではなかった時代。
「ウチダさん、ウチダさん。お店に帰って下さい」との館内放送は恥ずかしかったけど。

 15、6時間営業だけど、入って来る仕事は少ない。接客や工場仕事に費やす時間は3~5時間。実働3~5時間だから、「24時間働けますか」と問うコマーシャルが流行っていた中で「疲れたぁ」とか言える時間水準にも実は無かった。
当時は全く気付かなかったけど、「小商いのシアワセ」ってやつでしょうか。

 しっかり納得できる仕事と、お勘定は別。いくら念入りな仕事をしたところで、規定工賃や相場にたがう伝票は起こせない。家計から店の運用資金繰までまかされっぱなしにされたカぁちゃんには、多大な苦労を掛けた。が、全く疲れた様子を見せずに毎日ショールーム兼喫茶コーナー(6坪だったけど)で活躍してくれた。

 次々に増殖・定着してくるお客(のような人たち)相手に、おしゃべり。話し好きな身としては、日々拡がる話し相手が元気の源だったかも。女性客への接遇も当然私よりも上。広範なお客様と沢山のバーバルコミュニケーションを持ち続け、今の不動のホジションを築き上げた。時間が経つに連れ、そのコミュニケーションの内容変遷は、お話・相談・激励・辻説法・叱咤・また叱咤。で皆様からの支持ピークを迎え、現在は「菩薩スマイル・聞き上手」の域にあります。安心して近寄って下さい。

 さてさて、何であの頃疲れなかったのでしょうか。本稿を書きながら感じたのですが、
あの頃は市場も、私も、家族も、開店当初の常連も、皆「夏」だった。「夏」に居た。

 誰の小説か忘れてしまいましたが(ヘミングウェイあたりではなかったか)、作中の老人にこんな意味の台詞を付けています。
「『夏』とは単なる気温や湿度で定義できる時期ではない。人それぞれの心の状態、その有り様に因る」

 当時、私を筆頭に、ほとんどのお客様にお金は無い。時間は少し有る。背負っているモノはまだ重くない。こんな状態。
そんな中で「心の状態、その有り様」は、「今持てるモノでしっかり楽しもう」「明日はもっと楽しいコトが有るに違いない」「もっと楽しいコトが見つかるに違いない」これが共通項。明日は今日の単なる延長では無かった。皆で真夏に居た。

 毎年季節感が薄れていく最近の気候。夏らしい夏を感じない内に今日も玄関先の金木犀がむせる程の香を振り撒いている。

さてさて、09年秋現在の私。「秋」かなー。