チームPLUS 1

店主敬白

5.結婚!子供も!

1978年7月24日、夕刻。サイレンと共にキンキンとハウリングした「はいっ。止まりなさい」の声。白バイに止められた。白バイの「取り締まり用」メーターは73Km/hで止まっていた。
 「ちょっと速度出過ぎてますねぇ。はい。免許証出して。何か急いでました?」と、お決まりの切り口。しゃべりながらキップの束をスっと出して、免許証の転記体制に入っている。なかなか段取りが良い。免許証を出しながら、「昼間に初めての子が生まれて、今やっと仕事片付けて見に行くトコだったんです」と私。すると・・・出した時と同じスピードでキップの束を仕舞う白バイ警官。「そうですか。早く行ってあげて下さい。気を付けて。私んトコもつい最近子供ができましてね、いやぁ、おめでとうございます。気を付けて行ってくださいよ」と。

 午前中、ヨメさん(まだカァちゃんではなかった)から「破水したみたい。生まれるかも」と会社に電話。「そうか自分で行けるか?」と私。どうしてもその日に仕上げてしまわなくてはならない仕事を任されていた私でした。工場仕事の全体の段取りが見えるようになっていた私としては、どうもヌケにくい日でした。どうにか片付けて、急いで病院へ。まだ我が子を見ぬうちにお祝いを貰った次第です。あの白バイ隊員さんは元気だろうか。多分、立派な幹部交通警官になってるにちがいない。なっていてほしい。

 「車両整備やってます」って胸を張って言ってもバチが当たらなくなった頃。私は、バイクとクルマ、バンドとホルモンとビールの日々を謳歌していた。バンド活動もしっかりやったし、件数は少ないながらライブハウスなんかも盛況だった。よく通った。ガールフレンドも居た。お客様の8トラ(8輪のトラックの事ではありません)からはソロになった沢田研二とか、南こうせつがちょっと昔の健気な若いカップルのことを歌った曲が流れていた。

 そんな頃、軽い気持ちで声を掛けて付き合い始めたおネーさんがいた。カァちゃんです。ベタベタもせず、お互い干渉もせず、なんかヘンに落ち着いたお付き合いをしていた。と思う。月日が経ち、しっくりとはいっている仲だけどお互い飽きかけた頃。どっちから別れ話を切り出すのか、自然と疎遠になっていくパターンなのか。両方共にそんなコト考えるようになった初冬。なんと、なんとエラい事になった。「おなかに子供が…」

 えェッ。

「そうかぁ。そりゃー結婚せにゃーいけんなぁ」と、思った。カァちゃんが戸惑うくらいすぐに言った。「結婚するか」と。すぐに決めたけど安易な決定ではないと思う。ホットな状態で盛り上がって決めたわけでもない。責任感だけで決めたわけでもない。と思う。そう決めた。
「津軽海峡冬景色」が何処へ行っても流れていた年の瀬だった。

 今自分で客観的に考えると、娘をやるにはホント頼りないオトコだったろうと思う。親の世代にウケるはずがない長い髪のままでカァちゃんの実家へ行った。家族ぐるみでお付き合いをいただいていたわけではないので、親としたらどこの馬の骨とも分からないオトコに「娘さんを僕に下さい」と言われるハメとなった。

 オヤジは、「宜しく頼む」と言ってくれた。こんなモンなのか。と、当時は呆気ない気もした。年頃の娘を持つ身になった今思い起こすに、その時のオヤジの心中は・・・。語り合おうにもその新しいオヤジも今は亡い。

年が明けて2月11日、結婚した。

 父親になった。男の子だった。訳もなく男の子っていう事が嬉しかった。ガラス越しに見る我が子。足首に付けられた名札には「内田」と書かれていた。父親になったという感慨とか自覚は無かった。ただただ不思議な気分だった。よく言われている子供を初めて見た時の大人の自覚、親の自覚はゼンゼン芽生えてこない。子供を見ながら、ただただ不思議な気分に浸る27歳の子供だった私。2年後に女の子が生まれても、全く同じ。子供のまま娘を迎えた。歳は29になっていたけど。

 息子を風呂に入れる事だけが唯一の私の仕事。仕事が終わると飛んで帰った。飯食って風呂に入れると、後は全部カァちゃんにまかせっきり。独身時代そのままに遊び廻った。ご近所でも評判の家に居ないダンナだった。たぶん、良い評判ではなかったと思う。

 休みの朝は夜明けと同時にライダーのメッカ金甲山へ。昼間はアルバイトのパチンコ。夜はもうひとつの仕事のベースマン。独りでちゃんと正しく遊び、ちゃんと稼いでもいたつもり。家族放りっぱなしで。この「泣かずに独りでイイ子して遊ぶDNA」は、その男の子(後日正人と名付けられた)に今立派に引き継がれ、時々家に帰る足が重くなる奇病を発症して嫁を困らせている。

 思えば、好きなことだけして過ごしてきた今までの人生。自分の範囲内の領域において、自分で決めた事(決めるの早いよ!)を、他人にどうこう言われるの大嫌い。持って生まれた「いつまでも子供病」は49歳になった今も治る予定は・・・無い。今後供どうぞ宜しくお付き合い下さい。子供のココロ持って取り組める事、お付き合いする事って男の子として生まれた特権ではないでしょうか。家族にゃ迷惑な話だけど。